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ディエゴ・マラドーナ追悼 [スポーツ]

80年代、90年代にサッカー・アルゼンチン代表として活躍した、ディエゴ・マラドーナ氏が死去した。

20世紀最高のサッカー選手だったと思う。

身長160台半ばと小柄ながら、ほとんど左足だけを使った圧倒的なスキルで相手チームを振り回す姿は圧巻で、「王様」と呼ばれるのも納得だった。

イタリア、セリエAのナポリ時代と代表として出場した86年、90年のワールドカップの活躍が特に記憶に残っている。

ナポリはマラドーナ加入前は残留争いが定位置のチームだったが、マラドーナの加入で一気に強豪チームの仲間入りをした。マラドーナ、ジョルダーノ、カレッカの3人はMa・Gi・Ca(魔法)と呼ばれ圧倒的な攻撃力を誇った。

86年のワールドカップはまさにマラドーナの大会だった。
特に準々決勝のイングランド戦はサッカー史に残る試合と言える。
もともとアルゼンチンとイングランドは数年前まで戦争(フォークランド紛争)をしていた国ということもあり、試合前から両国民がヒートアップしていた。
後半6分ゴール前でこぼれ球をイングランドのゴールキーパー・シルトンとマラドーナが争い、マラドーナの左手がボールを弾き、イングランドゴールに吸い込まれた。
イングランドの選手は抗議するも主審はゴールを認め、後日マラドーナは「本当は手で触れたのだが、神の思し召しにより許された」と語り、このゴールは「神の手」と呼ばれるようになった。
そしてその「神の手」から4分後、ハーフライン手前でドリブルを開始したマラドーナは、60メートルを駆け上がり、5人のフィールドプレーヤーをかわし、さらにゴールキーパー・シルトンをもかわしてシュートを決めるというサッカー史上に残る伝説のゴールを決めた。
このゴールは2002年にFIFAのサイトでの投票で「Goal of the Century」に選ばれている。
ちなみにGoal of the Centuryの2位はイングランドのマイケル・オーウェンが98年にアルゼンチン戦で決めたゴールとなっており、両国のライバル関係の根強さを感じさせた。

96年のワールドカップはディフェンディング・チャンピオンとして臨んだアルゼンチンだが、開幕戦でカメルーンに敗れるなど、不調だった。
ブラジル戦では圧倒的に攻め込まれるも、マラドーナがディフェンス陣を引きつけてのパスで勝利に導いていている。
チームとしては押されていても、1人でひっくり返してしまう選手だった。

選手としては圧倒的だが、人間的には欠点も有り、82年のワールドカップの退場や、バルセロナやナポリ退団時のゴタゴタなど多くの問題を起こしている。
94年のワールドカップでは薬物使用により大会を追放されている。
ちなみにJリーグ名古屋グランパス入りの話もあったのだが、コカイン使用の疑いにより破談になっている。

このように問題の多い人物でもあったが、マラドーナの圧倒的な技術、闘争心は時代を超えた今になっても多くの人を魅了してやまない。

やすらかに…





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