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裁判員裁判とは意味のあるものか?市民感覚を反映させる気があるのか?問題点を解決する気があるのか? [社会]

市民が裁判員として裁判に参加する裁判員制度が始まって7年目に入っている。

その中で様々な問題が指摘されているが改善される様子が無い。

そもそも裁判員制度の目的は裁判への市民感覚の反映と、裁判を市民にとって身近なものにすることだ。

市民感覚の反映はほとんどできていないのが実情だ。

実際に裁判員による1審判決が覆されることは非常に多い。

量刑は類似事件と同じようにするというのがいままでの裁判で、これに則って判決を覆しているのだろうが、それなら裁判員裁判を導入した意味が無いのではないのか?
判例重視ならそれはそれでかまわないが、それなら裁判員制度は廃止すればいい。
裁判員側から市民の声にも聞くべきものがあったなどという話もあるが、それを他の人と共有できないのだから、その場で終わりだろう。

そして裁判を市民にとって身近にするという目的もまったく達成できていない。
確かに裁判員として参加した市民はいろいろな手続きや裁判の様子を知ることができて身近になったのかもしれない。
だがそうした経験を周りの人と共有できるわけではない。
守秘義務が課せられ気軽に話すことは出来ない。もちろん話せる部分もあるのだろうが、どこまで話していいのかきっちり区別できるほど自信がなければ話せないだろう。
結局実際に裁判員をしない限りわからないだろう。

こうした問題点は他にもあるが、改善しようとする動きも乏しい。

裁判員制度導入は「市民感覚の反映と、裁判を市民にとって身近なものにする」ための手段であったはずだが、司法も行政も目的と手段が入れ替わってしまっている。

このまま裁判員裁判を続けても市民の負担が大きくなるばかりでメリットは少ない。

問題点を改善するか、できないのなら制度を廃止した方がいい。








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